麻雀プロ団体の歴史は複雑だなあ。
図にしてくれるとわかりやすいのに…
麻雀プロ団体の歴史を知りたいの?
じゃあ、近藤誠一プロの解説をわかりやすくまとめてみるね!
これなら複雑な麻雀プロ団体の歴史もよく理解できるね。
近藤誠一が語る麻雀プロ団体の歴史
Mリーグ参加資格となる5団体は、すべて雑誌企画としての最高位戦から枝分かれをして設立されています。
枝分かれをしていった原因は、考え方の対立です。
このような麻雀プロ団体の歴史について近藤誠一は、麻雀遊戯王の中でわかりやすく語っています。
近藤誠一が動画の中でホワイトボードに書いた図は、以下のようなものです。
麻雀プロ団体の歴史のポイント
近藤誠一が動画の中で解説する麻雀プロ団体の歴史のポイントは、次の7点です。
- 雑誌企画としての最高位戦がスタート(図中①)
- 最高位戦の一部が脱退→団体としての日本プロ麻雀連盟を設立(図中②)
- 雑誌企画としての最高位戦→団体としての日本麻雀最高位戦へ(図中③)
- 日本麻雀最高位戦の一部が脱退→麻将連合を設立(図中④)
- 日本麻雀最高位戦→最高位戦日本プロ麻雀協会へ改名(図中⑤)
- 最高位戦日本プロ麻雀協会の一部が脱退→日本プロ麻雀協会を設立(図中⑥)
- 日本プロ麻雀連盟の一部が脱退→日本麻雀機構を設立しのちRMU(図中⑦)
一番最初の団体はどこ?
一番最初にできた団体はどこなの?
団体としては、日本プロ麻雀連盟が一番最初に発足しました。
だけどもともと麻雀プロの誕生と言っていいのは団体ではなく、最高位戦っていう年間を通じて総当たり戦をやる集団でした。
当時は年間で100半荘し、主催は竹書房さん。
竹書房さんが最高位戦っていう年間リーグ戦を主催したのが、麻雀プロ誕生のきっかけになったということですか?
そうですね。
竹書房さんが巷で頭角を現していた麻雀打ちを集めて始めたのが最高位戦。
この時麻雀プロとはうたっていましたが、プロ団体としては存在していませんでした。
竹書房とは?
「近代麻雀」などを発行する出版社。
1972年、野口恭一郎によって設立されました。
日本プロ麻雀連盟の設立
ここからどのように団体が作られていくんですか?
6年ぐらい最高位戦が続いたあと、最高位戦から分かれます。
これが連盟さんです。
団体として最初にできたのが連盟さん。
団体として最初にできたのが連盟さんなんですね。
そうですね。
最高位戦に残った人たちはそのまま団体をつくることもなくリーグ戦を継続していました。
その後最初から見て10年後、最高位戦は日本麻雀最高位戦という団体になります。
なぜここで団体を作ったかというと、竹書房さんが主催を降りたからです。
最高位戦を脱退し日本プロ麻雀連盟を設立した麻雀プロ
最高位戦を脱退し日本プロ麻雀連盟を設立した麻雀プロに、小島武夫、灘麻太郎、荒正義などがいます。
初代会長は小島武夫。
最高位戦日本プロ麻雀協会への改名
最初から見て22年後に日本麻雀最高位戦は最高位戦日本プロ麻雀協会に改名します。
ここでも最高位戦っていうのをこだわって入れてます。
一番最初にあったリーグ戦の最高位戦を受け継いでいるのが、最高位戦ってことなんですね、なるほど。
ではなぜここで改名したかというと、井出さんが最高位戦から出られて、麻将連合μという新しい団体を作りました。
その時、日本麻雀最高位戦っていう団体名はちょっと妙じゃないかっていう話が出てきて、この名前になりました。
これで3団体になりましたね。
そうですね。
ちなみに古川先生の101競技連盟は、最高位戦の前からやっていて、これは独自の道でやっていました。
井出さんとは?
麻将連合の初代代表、井出洋介のことです。
井出洋介は日本麻雀最高位戦を小林剛らと脱退し、麻将連合を設立しました。
古川先生とは?
101競技連盟の創設者、古川凱章(ふるかわがいしょう)のことです。
日本プロ麻雀協会の設立
26年後に日本プロ麻雀協会ができます。
初代の代表は土井泰昭さん。ここに五十嵐さんもいますね。
ということは最高位戦日本プロ麻雀協会から袂を分かつ形で日本プロ麻雀協会ができたんですね。
五十嵐さんとは?
日本プロ麻雀協会二代目代表の五十嵐毅のことです。
最高位戦からの枝分かれ
こう見ていくと最高位戦から枝分かれして団体ができていく感じなんですね。
ある意味、揉め事がちょいちょい起こる団体とも言われています。
考え方の対立
個人的な印象ですけど、ゴリゴリのただ勝つことだけ考えてる人たちがいるんですよ。
それに対してメディアにガンガン出て行って、有名になる、麻雀を広める、認知してもらう、そういう活動を熱心にやる人たちも割といる。
で、そこがちょいちょい揉めるんですよ。
なるほど~
こういうやり方を認めてくれないんじゃやりにくくてしょうがないから、新しい団体作るよ、っていう風にメディア路線がどんどん抜けていって、結果ガツガツ麻雀やる人たちが残ってるのが最高位戦。
脱退した人数
麻将連合ができた時には、元々60人くらいいたのが、30、30で分かれた感じ。
日本プロ麻雀協会の時は、40人くらい行ってます。最高位戦に残ったのが80人くらい。
プロの人数も確実に増えてるんですね。
RMUの設立
連盟さんもこのまま続いていくんですけど、枝分かれしてRMUが作られます。
RMUさんは連盟さんからの枝分かれなんですね。
RMUには基本的には連盟さんから移った方が大半を占めています。
ここに多井さんもいますね。
ちなみに最高位戦からもちょっとだけ行ってます。
多井さんとは?
現在のRMU代表、多井隆晴。
Mリーグでも活躍中。
土田浩翔が設立した日本麻雀機構
RMUは多井さんが主導的に設立したんですね。
作った当初主導的に動いていたのは、多井さんではなく土田さん。
実はRMUの前に日本麻雀機構というのができてるんです。
この日本麻雀機構を主導的に作ったのは連盟を脱退した土田さんです。
土田浩翔プロなんですね。
元々は日本麻雀機構という団体を作ったんだけど、リーグ戦が第一の目的ではない団体だった。
だけど多井さんを中心にリーグ戦をやりたい人たちがRMUリーグというのを作ったという風に聞いています。
なるほどー
で、今では日本麻雀機構がとれて、RMUだけが残ったと聞いています。
多井隆晴の連盟脱退の理由についてはこちらの記事をご覧ください。
→瀬戸熊直樹と多井隆晴の盟友関係とは?連盟時代から最強戦まで
Mリーグ参加資格となる5団体
今Mリーグの参加資格となっている5団体の大元は、一つのリーグ戦から始まったんですね。
そうです、主催竹書房さんの最高位戦からです。
近年、各団体の会員が増えていますが、こういうことを知らない人たちも多かったんじゃないかなと思います。
45年の間にいろんな考えがぶつかり合ってできているんですね。
全員が麻雀に対して真剣だからこそ今がある感じですね。
→参考記事:最高位戦プロ大量退会の理由は?移籍先はどこ?
Mリーグ参加資格となる5団体とは?
Mリーグ参加資格となる5団体とは
- 日本プロ麻雀連盟
- 最高位戦日本プロ麻雀協会
- 日本プロ麻雀協会
- 麻将連合
- RMU
の5団体です。
Mリーグ参加資格となる5団体の代表者と設立年
現代表者 | 初代代表者 | 設立 | |
日本プロ麻雀連盟 | 森山茂和 | 小島武夫 | 1981年 |
最高位戦日本プロ麻雀協会 | 新津潔 | (竹書房主催) | 1976年 |
日本プロ麻雀協会 | 五十嵐毅 | 土井泰昭 | 2001年 |
麻将連合 | 忍田幸夫 | 井出洋介 | 1997年 |
RMU | 多井隆晴 | 土田浩翔 (日本麻雀機構) | 2007年 |
【参考記事】
【図解】近藤誠一が語る麻雀プロ団体の歴史 麻雀遊戯王まとめ|まとめ
- Mリーグ参加資格となる5団体は、すべて雑誌企画としての最高位戦から枝分かれをして設立されています
- 枝分かれをしていった原因は、考え方の対立です
麻雀プロ団体の45年間の歴史は、対立の歴史です。
しかしそんな中に一筋の光が差し込みました。
Mリーグの発足です。
Mリーグによって麻雀界は、初めてまとまりました。
これまでの対立の歴史は、Mリーグ以後、逆に統一の歴史に変わる可能性があります。
既得権益を守りたい方もいるでしょう。
しかし麻雀を愛しているのなら、麻雀界のために動いてほしいと一ファンとして切望します。
Mリーグが好きな方にはこちらの記事もおすすめですので、チェックしてみてください。